「出来る・出来ない」以外にも

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 グループホームでの『自立支援』を目指したケアを行なって行く中で、一番ありがちなのが『何でもやってあげる』んじゃなくて『何でもやってもらう』んだ♪と言う意識の変化。

 『何でもやってもらう』が可能ならそれは素晴らしい事だけど、『やりたくない』人にも『やらせる』と頑なに考えてしまう。

 『なんでやりたくないのか?』を思考するプロセスが抜けてしまっていて、まずその理由をあれこれ考えて、それを取り除く環境作りが無ければただの強制か指導でしかない。

 「立っているのが辛い」なら、座って出来る環境を作る。

 「○さんとうまが合わない」なら、メンバーの構成を変えてみる。

 「○の置き場所が分からない」なら、分かるようにその場所に大きく名前を書いたシールを貼る。

 そうやって環境を作る事で出来るようになる事もあるけど、一番多いのは「疲れる」「面倒臭い」「他の誰かがやってくれる」みたいな理由・・・。

 ここがGH職員の一番難しい所だけど、同時に醍醐味でもあるでしょう。

 どんな関わりがあれば『やりたい♪』は無理でも『仕方ない、やってやるか・・・』『嫌だけどやらなきゃならないな・・・』と気持ちを『のせる・そそる』事が出来るか??

 例えば、どんなに物臭で何もしてくれない方だって、誰もいない時に目の前で子供が転んで泣いていれば「大丈夫か?」と手を差し伸べるでしょう。

 要は『それをする必然性』を上手く作り出せるかどうか?が必要なんだと思います。

 
「いつもみんな笑顔で、楽しく穏やかに暮らして頂く」と言った話しを良く聞くけど、人が集まって一つ屋根の下で暮らして行く以上、気に入らない事、嫌な事、辛い事だってあって当たり前でしょう。

 実の親子・夫婦でもそうなのに、ましてや70~80年暮らしてきた家や家族と離れて他人と暮さなきゃならないとしたら・・・。(それも自分の意志とは裏腹に)

 
 それでも、何でもかんでもその方の希望通りにする『利用者本意』じゃなく、気に入らない事・嫌な事・辛い事と折り合いながらも、本来のその方らしい(こうあって欲しい)『姿』を一日でも長く残し続ける『利用者本位』をいつも忘れないでいたい・・・。